【2017/11/8・通訳問題「13 陶磁器」】
【スクリプト】
陶器と磁器は似て非なるものです。陶器の原料は、粘土が主であるのに対し、磁器の大半を占める原料は陶石を粉砕した石粉です。叩いたときには、陶器は鈍い音が、磁器は金属的な澄んだ高い音がそれぞれでます。
【2017/10/21・Tips】
【「スポーツ」で使えるフレーズ例】
The basic discipline for martial arts is the same, “to start with a bow, and to end with a bow”. Although a martial art could be sometimes dangerous, it maintains the entirety as a sport by
respecting courtesy.
【2017/10/18・通訳問題「12 しまなみ海道」】
【スクリプト】
瀬戸内にある「サイクリングロード」は、日本で初めて海峡を横断できる自転車道です。尾道市から今治市の間にある沿線の自治体では、レンタサイクルを運営しています。各地区にあるターミナルでは、乗捨ても自由に行うことができます。
【2017/10/13・通訳問題「11 JR Pass」】
【スクリプト】
ジャパンレールパスは、JRグループ6社が共同して提供するパスで、日本中を鉄道でくまなく旅行して回るのに最も経済的なきっぷです。東海道・山陽・九州新幹線の、のぞみ号・みずほ号が利用できないなど、ご利用に条件があります。
【2017/10/11・東京の観光地「07 The Imperial Palace」】
The imperial palace situates in the center of Tokyo with approximately five kilometers around. It is located in the former site of Edo Castle. From 17th century to the latter
half of 19th century, Edo Castle had been the seat of Tokugawa Shogun and Japan’s military and political center. It was surrounded by water moats and massive stone walls. The residences of feudal
lords were located around the Castle.
Since the Meiji Restoration, it has been the residence of Japan’s Imperial family. The current Emperor is the descendant of world’s oldest
imperial lineage. Welcoming parties for heads of other nations are held at the Imperial Palace.
The Imperial Palace is also popular among tourists. You can view the Nijubashi, meaning double bridges, from Kokyo Gaien, a large plaza in front of the Imperial Palace.
Some people enjoy jogging on the pavements of the plaza where lots of beautiful pine trees are planted. The East Gardens of Imperial Palace is recommendable as you can see the former site of the
main building of the castle and the remaining foundation of the castle tower. At the time of cherry blossom and autumn leaves, Inui Dori Street in the Imperial Palace is open to public, and
enjoyed by a lot of people.
皇居は周囲約5キロあり、東京の中心に位置しており、江戸城の跡地にあります。江戸城は17世紀から19世紀後半まで徳川将軍の居城であり、政治の中心地で、水堀と巨大な石垣に囲まれていました。封建大名の屋敷は城の周りに置かれていました。
明治維新からは皇族の住まいになりました。今上天皇は世界最古の皇室の血族の末裔です。皇居では他国の指導者に対する歓迎会が開かれます。
皇居はまた観光客に人気でもあります。二重橋や皇居前の広い外苑を見ることができます。美しい松が植えてある外苑歩道でジョギングを楽しむ人もいます。皇居東御苑は江戸城跡や今も残る天守台を見られますのでお奨めです。また、桜と紅葉の季節には皇居内の乾通りが一般公開され、大勢の人々に喜ばれています。
【2017/10/9・通訳問題「10 高野山」】
【スクリプト】
高野山の奥之院には、墓石群のほか慰霊碑や供養塔なども数多くあります。民族や宗教の違いに関わらず全てを受け入れる寛容さは、高野山が1200年継承してきた精神であり、その魅力となっています。
【2017/10/7・伝統行事「06 753 celebration」】
“Shichi go san” literally means seven five three. Children at these ages are taken to a Shinto shrine by their parents or grandparents on November 15th. It’s a
celebration for the children’s growth. 3-year-old and 5-year-old boys and 3-year-old and 7-year-old girls celebrate this event with their family.
In olden times, since medicine was not yet developed, a lot of young children died before they reached these ages. So, the parents celebrated their children when they
grew up to be these ages.
Today in November we see some young children dressed in traditional kimono visiting Shinto shrines with their parents. At the shrine, a Shinto priest holds a sacred
service to pray for the growth and happiness of the children.
After visiting shrines, they eat red and white candy sticks called “chitose” candy. “Chitose” means a thousand years. The candies are in a bag with illustrations of
cranes and turtles. According to legends, cranes live one thousand years and turtles live ten thousand years. They are the symbols of longevity in Japan.
「七五三」は753の意味です。11月15日に、3歳5歳7歳の子供は親や祖父母に連れられて、神社に行きます。これは子供の成長を祝う儀式で、3歳と5歳の男の子、3歳と7歳の女の子が家族と共に祝う行事です。
昔は医学が発達していなかったので、この年齢に達する前に亡くなる子供が沢山いました。両親はこどもがこの年齢まで成長するとその都度お祝いをしました。
今日では、11月に入ると、着物を着て両親と神社に行く小さな子供達をよく目にします。神社では神官がこどもの健康と幸せを祈願する儀式を執り行います。
儀式の後、子供達は「千歳飴」と呼ばれる、紅白の棒状の飴を食べます。「千歳」とは1000歳のことです。鶴と亀が描かれた袋に入っています。伝説によると、鶴は1000年、亀は10000年生きるそうです。日本では鶴亀は長寿のシンボルです。
【2017/10/6・通訳問題「09 数字」】
【スクリプト】
奇数は縁起の良い数字だと考えられています。日本の国技である相撲ですが、場所の開催は奇数月です。一方、偶数は不吉な数とされます。偶数は2つに割れるため、人々が大事にしている絆を断ち切るという意味合いになるのです。
【2017/10/5・通訳問題「08 神社の神」】
【スクリプト】
日本には、歴史上の人物が、神として祀られている神社も少なくありません。秀吉や家康などの武将が神として祀られたのは、天下統一を果たして偉大な功績を残したためです。
【2017/10/4・宗教「05 Dewa」】
The Three Mountains of Dewa (出羽三山 Dewa Sanzan) refer to the three sacred mountains of Mount Haguro, Mount Gassan, and Mount Yudono located in the ancient province of Dewa
(currently Yamagata Prefecture). Holy to the Japanese Shinto religion and especially mountain worship (Shugendo), Dewa Sanzan are a popular pilgrimage site visited by many including famed haiku
poet Matsuo Basho.
The Dewa Sanzan are particularly noteworthy as having the oldest history of mountain worship in Japan. The mountains were first opened as a religious center over 1400 years ago
in 593. Since then many people have been making yearly pilgrimages.
Following the Meiji Restoration in 1868, the government dissolved the Shinto-Buddhist amalgamation and Shinto was selected as the official state religion. Shugendo was
adversely affected by this move and many shugendo priests became Shinto priests or Buddhist monks.
出羽三山とは、以前の出羽の国(現在の山形県)にある3つの神聖な山、羽黒山、月山、湯殿山のことをさします。日本の神道、特に山岳信仰(修験道)の聖地である出羽三山は、俳聖・松尾芭蕉も訪れたことのある人気のある巡礼の地です。
出羽三山は、日本において最も古い歴史をもつ山岳信仰の地として特に注目されています。これらの山は、今から1400年以上前の593年に修行のための山として開かれました。それ以降多くの人が毎年巡礼に訪れています。
1868年の明治維新以降、政府は神仏習合を解消し、神道が正式な国家宗教として選ばれました。修験道はこの動きによって打撃を受け、修験道者の多くは神官になったり仏僧になりました。
【2017/10/3・通訳問題「07 うちわ」】
【スクリプト】
うちわは丸く平らな道具で、手に持って顔の前で前後にあおぎ、風で人々を涼しくさせるものです。寿司を作る時、寿司飯を冷ますためにも使われます。日本の夏は蒸し暑いため、夏には欠かせないアイテムです。
【2017/9/28・通訳問題「06 道の駅」】
【スクリプト】
道の駅は、日本の一般道や高速道路に見られる、政府指定の休憩所です。旅行者の休憩所としてだけではなく、その地方の観光や物産を、プロモートする目的で設けられています。お店では、その地方の農産品、お菓子、お土産やその他の品物を売ってよいことになっています。
【2017/9/27・日本文化「04 Japanese habit」】
When we meet someone, we make a bow. While we do this, the most vital part of your body is exposed to other people, means no hostility on the scene. A slight nod is
for casual hello, 30-degree bow on formal occasions. A profound, 45-degree bow is to extend sincere appreciation or apology.
We slurp noodles to enjoy our meal while they are steaming hot, and blow on foods to make the most of the right time to taste.
We say sorry even if we are not wrong. In our culture, saying sorry doesn’t mean you are at fault, and then ‘sorry word’ is very often used to avoid confrontation
and for trouble-free communication.
私たちは誰かに会うときにお辞儀をします。このときに一番の急所である頭頂部を相手にさらします。これはその場に置いて敵意が無いことを示します。軽い挨拶では会釈をしまし、改まった場面では30度のお辞儀をします。心からの深謝を表すには45度の深いお辞儀をします。
私たちは麺をすすり、熱々の状態で食事を楽しもうとしますし、食べ物に息を吹きかけてちょうど良いタイミングで戴こうとします。
私たちは自分に非が無くても、ごめんなさい、すみません、と言います。日本では謝ることイコール賠償責任を負うということではありません。ですから、「ごめんなさい、すみません」という言葉は対立を避け、円滑なコミュニケーションを行うために頻繁に用いられます。
【2017/9/24・通訳問題「05 戦国武将」】
【スクリプト】
「戦国武将」という言葉は、江戸時代の前の15世紀中葉から16世紀末までの戦国時代の戦国武将を表します。当時、天皇が公式には日本の統治者で、すべての武将は天皇に忠誠を誓ってはいたものの、ただの儀式や宗教的な象徴になっていました。
【2017/9/23・通訳問題「04 相撲」】
【スクリプト】
相撲の取組みのルールは単純です。取組みは、土俵と呼ばれる直径5m程の土でできた四角い土台の上に作られた円形のリングで行われます。取組みでは、力士は自分の足の裏以外の体の一部が土俵に触れるか、土俵の外に押し出されるか、投げ出されれば、負けとなります。
【2017/9/22・日本文化「03 Ukiyoe」】
Ukiyo means ‘this world’ in which people live, and people’s lives were put in ‘Ukiyo-e’: beautiful women, kabuki actors, sumo wrestlers, customs, scenic spots and the supernatural and so forth. In other times, the theme of Japanese art was based on Chinese legends. In pre-modern era, it was widely spread as high degree of mass produced woodblock printings, and sold at around 800 yen a piece. Ukiyo-e was an illustration for people in general, very much opposite to those of the West, and unprecedented in art history. Also the sophisticated technique influenced on the Impressionists.
浮世とは、この世、つまり人々の生きている世界のことで、浮世絵には美女、歌舞伎役者、力士、風俗画、日本各地の風景、お化けなど当時の人々の生活が描かれました。それまでの日本の美術のテーマは中国の故事でした。浮世絵は江戸時代に量産型の高品質な版画という形で大人気となり、一枚あたり800円程度で大衆化したそのイラストレーションは西洋の絵画に対する概念とは全く異なり、他に例を見ませんでした。またその高い技術は印象派の画家に影響を与えました。
【2017/9/21・歴史「02 Seclusion policy」】
Sakoku means a seclusion policy enforced by the Tokugawa Shogunate from the early 17th century to the mid19th century. It was the foreign relations policy under which no foreigner could enter Japan nor any Japanese could leave the country. The penalty was death. They restricted trading with overseas only to Dejima, a small artificial island constructed in Nagasaki. They had relations with Holland, China, Korea and Ryukyu alone.
鎖国とは17世紀初頭から19世紀中頃まで行われていた徳川幕府の政策のことです。この政策により外国人は日本に入国できず、日本人は海外に行けませんでした。破った者は死罪でした。幕府は海外との交易を長崎に作った出島だけに制限しました。オランダ、中国、朝鮮、琉球だけと関係を持っていました。
【2017/9/20・通訳問題「03 中山道」】
【スクリプト】
中山道は緑が多く、遊歩道がよく整備されているため、旅行者の間での人気が高いです。例えば、以前の宿場町である妻籠や馬籠は、長野県と岐阜県の県境にありますが、二つの町は、趣のある遊歩道でつながっています。
【2017/9/16・日本文化「01 Dry landscape garden」】
Dry landscape gardens were created at Zen Buddhist temples during the Muromachi period, from the middle of 14th to the late 16th century.
In this garden style, carefully chosen rocks and stones are arranged on raked gravel or sand. Rocks represent mountains or islands and the raked gravel or sand represent flow
or ripples of rivers or oceans.
The gardens are intended to express the essence of nature, not its actual appearance, and to serve as an aid to meditation. This sort of garden is relatively small, surrounded
by a wall, and some are meant to be seen while seated from a single viewpoint outside of the garden, such as the porch of the hojo, the residence of the chief monk of the temple or monastery.
The most famous classic dry landscape garden is at Ryoanji-temple in Kyoto, where the plain, earthen walls enhance the beauty of the abstract arrangement of the stones all the more.
枯山水は14世紀半ばから16世紀後半までの室町時代に禅寺で造られました。
この庭園様式では、慎重に選ばれた岩と石が熊手で筋をつけた砂利や砂の上に配置されています。岩は山や島を表し、熊手で筋をつけた砂利や砂は川や海の流れやさざ波を表しています。
この庭は実際の自然の見た目ではなく、自然の本質を表し、瞑想の助けになるように造られています。この様式の庭は比較的小さく、壁に囲まれており、庭の外にある方丈とよばれる高僧の住まいである寺や僧院の縁側の、ある一点から座って眺められるべく造ってあるものもあります。
最も有名な古典的枯山水は京都の竜安寺のもので、そこでは簡素な土壁が、石の抽象的配置の素晴らしさをさらに一層高めています。
【2017/9/15・通訳問題「02 アメ横」】
【スクリプト】
上野公園の近くのもうひとつの見どころは、「アメ横」と言われる市場がある通りです。「アメ横」とは、「飴屋横町」の略です。第二次世界大戦後、この通りには闇市がありました。今日では、化粧品、衣類、海産物、干物などが売られており、いつも人で混み合っています。
【2017/9/14・通訳問題「01 鳥居」】
【スクリプト】
神社にお参りに行くと、最初に見えてくるのが「鳥居」です。 「鳥居」は神聖な場所である神域への門です。語源は、「通り入る」がなまったという説や、日本最古の歴史書「古事記」に出てくる「鳥の止まり木」など、いくつか説があります。また造りや材質はさまざまで、地域や神社によって異なります。