日本歴史問題
Q. 江戸時代に入ると文書主義の影響を受けて、寺子屋や藩校、私塾の数が急激に増加した。1850年以降は寺子屋の年平均開業数は300を超え、全国各地に著名な藩校や私塾なども創立されていった。それに関する記述のうち、正しいものはどれか。次の①~④から一つ選びなさい。
① 旧開智学校は、藩主である池田光政が創立した郷学である。
② 松下村塾は、長州の萩郊外にある私塾で、吉田松陰の下、大村益次郎ら倒幕派人材を輩出した。
③ 適塾は、緒方洪庵が長門に開いた蘭学塾で、福沢諭吉や橋本佐内などの多くの俊才を輩出した。
④ 鳴滝塾は、シーボルトが長崎の郊外に創立した医学塾で、高野長英などがここで学んだ。
答え: ④
① 誤り。旧開智学校ではなく、閑谷学校。閑谷学校は岡山県備前市に、旧開智学校は長野県の松本市にある。
② 誤り。大村益次郎は松下村塾ではなく、適塾で学んだことで有名。
③ 誤り。長門ではなく、大阪。
④ 正しい。この問題の本筋ではないが、シーボルトは1828年、帰国直前に当時国外に持ち出すことが禁じられていた日本地図を持ち出そうとして再渡航禁止の処分を受けた。これは高橋景保らから贈られたもので、景保は死罪判決を受けた。(シーボルト事件)
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